『いじめ』ってハラスメントじゃないの?

『いじめ』ってハラスメントじゃないの?

「殴る蹴るって暴行事件じゃない?」

そんな疑問を抱えつつ、私がいわゆる『いじめ』によって体を崩したのは10年前のことでした。

無視、シカトなどの軽度かつ執拗な『いじめ』で苦しみ、毎日の登校自体で体をすり減らした私が医者にかかったとき、すでにうつ病は重度にまで進行。今にいたるまで精神科の治療を続けています。

病気の原因は、学校に蔓延する暴力的な空気でした。毎日のように言われる人格否定の言葉。それが恒常化している異常な事態。

考えてみれば、いじめというのはおかしな現象です。

内容を分析してみれば、相手になにかを強要するパワハラ。

体格を指摘される、さらにパンツをずり下がる、なんていうのはあきらかにセクハラ。

よく聞く「校舎裏で殴る蹴る」は暴行罪、傷害罪。

そして、「葬式ごっこ」や、執拗な「死ね」という言葉は、立派に自殺教唆として成り立つでしょう。

なのにどうして、「いじめ事件」を民事裁判で取り扱うのか、10年前の当時、私はわかりませんでした。

今でもわかりません。

子供には権利があるから、刑罰は受けさせるべきではない、という意見を聞いたことがあります。

いいえ、違う。犯す罪は罪なのです。

権利と責任はセットです。なにかを履き違えています。

生存する権利を与えられている代わりに、他人に加害した場合の責任を、人間として負うべきなのです。

一個の人間として責任を引き受けるべきです。それが本当の教育です。

いま、学校という場所はどういうことになっているのか、私は知りません。

ただ、『いじめ』という名の『犯罪』がまかり通る場所に、また関わるくらいならば、私はたとえ結婚しても子供を産まないでしょう。

あの暴力的な空気は今でも忘れません。そして犯罪を許容している学校という場所を、私は忘れません。

もしもつらい状況にいる子供がいるなら、わたしはこう言えるでしょう。

命のほうが大事です。学校という組織やたかが他人のために、死ぬ義理はありません。

たとえそれが肉体的にも、精神的にであっても、死ぬ義理はありません。